鳥取地方裁判所 昭和44年(ワ)210号 判決 1972年3月17日
原告 日吉神社
右代表者代表役員 大沢公正
右訴訟代理人弁護士 中山淳太郎
被告 有限会社栗山組
右代表者代表取締役 栗山虎蔵
右訴訟代理人弁護士 藤原和男
被告 藤内道夫
主文
被告らは原告に対し各自金九九万円および内金九〇万円に対する被告有限会社栗山組につき昭和四四年一〇月一四日以降、被告藤内道夫につき同月一〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。
訴訟費用は二分し、その一を原告の負担、その余を被告らの負担とする。
この判決は被告らに対し各金一〇万円の担保を供するときは当該被告に対し仮に執行することができる。
事実
第一、申立
(原告)
被告らは原告に対し各自一九二万一、一五〇円および内一七四万六、五〇〇円に対する本訴状送達の日の翌日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告らの連帯負担とするとの判決ならびに仮執行の宣言。
(被告有限会社栗山組―以下これを単に被告栗山組という)
原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決。
≪省略≫
第四、被告藤内の不出頭
被告藤内は適式の呼出を受けながら本件口頭弁論期日に出頭せず、かつ、答弁書その他の準備書面をも提出しなかった。
第五証拠≪省略≫
理由
一、被告らの責任
被告藤内は原告主張の請求原因事実を明らかに争わないからこれを全部自白したものとみなす。原告と被告栗山組との間においては原告主張の請求原因二、三項の事実は争いがなく、≪証拠省略≫によると、本件鳥居が原告の所有に属していることが明らかである。この事実によると、本件事故により鳥居が全壊した損害につき被告栗山組は民法七一五条により、被告藤内は民法七〇九条により原告に対しそれぞれ賠償すべき義務がある。
二、被告栗山組の賠償すべき損害
1 再建費用
六〇万円を要することは被告栗山組においても認めるところである。≪証拠省略≫によると、
山下末治は原告宮司大沢公正より鳥居の建造の依頼を受け、従前と同質の白御影石をもって作成することとし、これを昭和四五年五月一〇日頃に完成し、大沢に代金七〇万円をもって引渡し、代金の授受を了した、そして、この代金のなかには建前費などを含んでいる、原告側としてはその他、地鎮祭の費用五、〇〇〇円を支出し、竣工祭の費用として四万円(神職五名一万四、〇〇〇円、神饌料八、〇〇〇円、直会費一万円、その他八、〇〇〇円)を予定している
ことを認定することができ(る。)≪証拠判断省略≫右認定の竣工祭費用などは、社会通念上原告において負担すべく、本件事故と相当因果関係がなく、被告栗山組の負担すべき損害と認めるのは相当でないから、同被告は新造の鳥居代金七〇万円を賠償すれば足りる。
2 歴史的価値の賠償額
≪証拠省略≫を綜合すると、
(1) 「原告は約六〇〇年前に山名時氏の創建にかかるものである、近江国阪本日吉神社の分霊を布勢神社に合祀したものであり、神殿二一社(上中下各七社)を構築していた、天正八年(一五八〇年)に豊臣秀吉が山陰に兵をすすめた際、本社は恢燼となったが、慶長九年(一六〇四年)鹿野城主亀井茲矩が神殿を再建し、さらに、元和三年に池田光政が、鳥取城主に任ぜられて神社に対する尊敬の念は深く、さらに、寛永九年に池田光仲が鳥取に転封され、毎月参拝するなど崇敬していたが、臨時祭典料として銀四貫二〇〇匁を寄附した、享保元年には松平仲澄が神殿および外構を改築し、嘉永三年には松平慶徳が本殿および附属建物、神具一切を再建した」と伝えられている。
(2) 本件鳥居については建立年月日、建立者および寄進年月日は明らかでなく、ただ、安政二年(一八五五年)に徳川政府より命ぜられて作成した社帳には原告の財産として石花表(本件鳥居)が記載されている、その他、宝物として保存されている棟札に山王権現宮御石鳥居一宇、因伯太守子孫繁盛、寛延二年(一七四九年)と記載されているのでこれが本件鳥居のことではないかとの推測がなされている、そこで、本件鳥居は池田藩侯の寄進といわれ、山王鳥居と呼びならわし、この鳥居をくぐると子供に御利益があるとの云い伝えもあるけれども本件鳥居が鳥取県の文化財に指定されているものでもない、昭和一七年の鳥取大地震のときに本件鳥居は、はめこんであった黒御影石の額のため重心が狂い、また、一方の傘が落ちて折れたことがあるが、傘は新しくとりかえたものである
ことを認定することができ、この認定を左右するに足る証拠はない。
右認定の事実によると、原告は遠く約六〇〇年前に山名氏によって創建された古い歴史を有する神社で、鳥取城主によって崇敬されていたものということができるけれども、本件鳥居の建立についてはその年月日が明らかでなく、少なくとも安政二年(一〇〇余年以前)には存していたことは確実であり、また寛延二年(二〇〇余年以前)に建立され、池田藩侯により寄進されたとの推測もできないわけではないとしても、極めて不確実である。その他、本件鳥居につき建築上特別の工法によること、特異の材質を使用していること、壮大なものであること、歴史上有名人の使用物、製作物であることを認めるに足りる証拠は存しない。およそ、物につき生じた損害を論ずるのに、実用価値若しくは交換価値を基準として失った損害を算定するのが通常であるけれども、古くに建立され、池田藩侯により寄進されたという歴史的な価値が存する場合にはそれはそれとして保護すべき対象となり得るものと考えるのが相当である。然して、本件においては池田藩侯の寄進によるものとの確実な証拠は存せず、単なる推測にすぎず、確かな点は安政二年以前に建立されたものということだけである。さらに、真偽は別として池田藩侯の寄進によるものとして本件鳥居を子供がくぐると御利益があるものと云い伝えられているにすぎない。このような事情を斟酌して歴史的価値に対する賠償としては二〇万円が相当であると考える。附言すると、右価値の喪失は被告藤内の行為と相当因果関係が存するし、同被告においてこの価値につき予め認識している必要の存しないことは多言を要せず、被告らの責任には何らの消長をきたさないところである。
以上の次第で、被告栗山組は原告に対し本件事故のため右1および2の合計九〇万円を支払うべき義務がある。
3 弁護士費用
≪証拠省略≫によると、原告において本件訴訟を中山弁護士に委任し、同弁護士に支払うべき着手金および成功報酬の合計は裁判所の認定額の一割とするとの約束をしたことを認めることができる。裁判所に訴訟を提起するのに代理人として弁護士に委任することは通常止むを得ないものがあると考えられるし、その費用もまた本件事故と相当因果関係にある損害というべきである。本件記録に表われた凡ての事情を考慮すると、右一割の約束は妥当であるから、前認定額の一割である九万円をもって相当とする。
よって、被告栗山組は原告に対し本件事故による損害賠償として合計九九万円を支払うべきである。
三、被告藤内の賠償すべき損害
原告と被告藤内との間においては、事実関係につき争いはないけれども、諸般の事情を斟酌して同被告が原告に支払うべき損害賠償額は前認定の被告栗山組と同一額である九九万円をもって相当と考える。
四、そうすると、被告らは各自九九万円と内九〇万円に対する、不法行為以後である、被告栗山組につき昭和四四年一〇月一四日以降、被告藤内につき同月一〇日以降(いずれも訴状送達の日の翌日であることが本件記録上明らかである)各完済に至るまで民事法定利率たる年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があることが明らかである。よって、原告の被告らに対する請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(判事 小北陽三)
<以下省略>